学生時代から2019年までの長い間、私はとにかく一生懸命に働いていました。
多少体調が悪くても無理して仕事に出て、なんとか誤魔化し誤魔化し一日を終わらせていた日も数多くあります。
無理がたたって動けないまでに体調を崩したり、自律神経を壊してしまった時もありました。
それでもなんとか体調を回復させて仕事に出ていました。
それが2019年の12月からフリーランスになり、私は一生懸命生きるのをやめました。
ダメならダメ、行けそうなら仕事をして無理だけはしない、そんな生活をしていました。
そこからの2020年は、本当に自分をいたわっていた年だったと思います。
人生は長いから一生懸命生きると疲れすぎる
私は一般的にはまだまだ若い年齢です。
とはいえ、そこまで若いかって言われるとそうでもないので、まだまだ人生は長く残っているはずです。
そうなったとき、今一生懸命に生きてしまうと、長い人生必ずどこかでばててしまいます。
2019年に結果的に体調を悪くしてドロップアウトしたのがばてたと考えるなら、早い段階で身体が悲鳴をあげたということですかね。
そこから私は自分の人生を一生懸命に生きない、と決めました。
一生懸命に生きなくても絵は描けますし、描こうと粋がって描きはじめると結局いいものはできないので、頑張ること自体が悪循環なのかもしれません。
あやうく一生懸命生きるところだった
エッセイとして最近人気になっていて、韓国では25万部、日本でも10万部を超えるヒットをなっている「あやうく一生懸命生きるところだった」。
私も実際に本屋さんでタイトルを見たときに一目で気になりました。
王様のブランチのBOOKコーナーでもランキング上位に入っていたので、それなりに注目されているんだと思います。
で、私も実際に手に取りました。
買った段階で目次等は全て確認して、本書の一番伝えたい章とかにはチェックを入れました。
で、チェックを入れた部分には付箋を貼ってすぐに開けるようにして、はじめにと終わりには最初に読み、キーワードにはマーカーをしました。
すぐに読める段階にしておいたっていう感じですね。
私自身、フリーランスとして家で働き出してから思ったのは、「出社すること自体から一生懸命にやらないといけない社会なのはちょっと合わなかった」ということ。
仕事もしていない、まだ1日が始まったばかりなのに、移動だけで1日の体力の半分を持っていかれるような生活を続けていたんですよね。
というか、それが当たり前だし、そうしないと生活ができないと思っていました。
でも実際には違いました。
理解があれば満員電車に乗って出社しなくても仕事は始められるし、仕事前までのんびりと体力を温存することができます。
そして仕事始めと同時に体力を使うことができる。そこから頭を回転させながらしっかりと仕事をこなす。
終わったらそのままの流れで趣味を楽しんだりお風呂に入ったりすることができます。
とにかく無駄なことに一生懸命にならないようにすることが、私には合っていました。
本書でも勢いで会社を辞めた著者が、その後の人生をゆったりと生きていっている、っていうことが本全体を通してにじみ出ています。
まだ手に取ってない人や、帯にも書いてある「毎日、走り続け疲れきったあなたへ。」という人は読んでみると心が軽くなるかもしれません。
とにかく一生懸命にならないための生きた方が全編通して書かれています。
ちなみに、作者は「1年間まともに働かず、来た仕事も断りながら意図的に稼がないようにしていた時期」があったようです。日本でこれをやるのは無理があるかもしれないですけど、そうやって意識しないと一生懸命働かないといけない人生になるようになっているからでしょうかね。
時間を売らない生き方
私はやりたくなったら仕事をして、やりたくなかったら仕事をしないっていう自由な働き方をしています。
9時-5時で働いたり、アルバイトとして働くといったような「フロー型」の働き方をしていません。
時間をお金に換算して働かないと決めています。
時間を区切られると、その時間帯には何があっても働いていないといけなくなるので、嫌気がさします。
今それをやれって言われても無理です。。
完全に自由に働くことに慣れてしまったので、時間で拘束されてしまったらまともな戦力にならないでしょうね。。
でもそれが私の「一生懸命働かない」というのと合致しています。
ライブ授業に関しては、依頼があった時だけ準備をして行って、それ以外はやりません。販促活動もそこまで得意ではないので、全て会社に代行してやってもらっています。
私がするのは授業とお絵描きだけ。
苦手な事でもやらないといけないのがフリーランスという働き方だ、とか、自分で売り込みをしないと絵描きとして活動するのは無理、っていう記事や動画をたくさん見ますけど、私からしたらそれは凝り固まった意見です。
それ自体を否定するんじゃなくて、私はその生き方を選択しないよっていうだけです。
描いた絵を発信していれば、SNSから仕事の依頼が来ることがあります。その仕事を全力でこなしていき、できたものを納品する。
そうやって仕事をしています。依頼がないときには創作活動をメインにして、描いたものを何かしらの形で売っていく。
ブログに関しても、書いた記事をネット上にアップしていれば勝手に集客してくれるので私は何もしません。
そうやってできるだけ自分から動かなくてもいいような仕組みを作って生活しています。
時間を売らずに生きるのが私にはあっている方法でした。
必死になって何に勝つのか
会社にいるときには、何かや誰かに勝とうと思って働いていました。
そのなにかは漠然としていてわかりません。
でも必死になって競争に加わっていたような気がします。
買ったか負けたかで言えば多分負けてます。技術に関しては、もともとが0からのスタートだったのでしょうがないと思っています。
が、それ以外にも負けていたような気がします。多分勝ったことはないかも。。
社会というレールからも降りたので、そういう意味でも負けたのかもしれないです。でも社会のレールに関しては私は負けたと思っていません。
むしろ結果的には良かったと思ってる方です。
本書でも最初の方に書いてますけど、今の社会は競争社会。みんな何かわからないものに勝とうとして必死にレースを走っています。
でも私はそれに意味がない気がします。
結局適材適所っていう言葉があるように、必要なところに必要な人がパズルのピースのようにはまるだけです。
そのピースにはまるかどうかは、選ぶ人次第であり、自分ではないわけです。
なので、無理に争っても意味がないと思うわけです。
私は私のやり方で夢を掴む
作業をする時間が明確に決まっていないので、仕事をしているのかどうかが周りからはわかりにくいかもしれません。
一見すると本気に見えないかもしれませんけど、私は本気で今思っている夢を叶えます。
その為に水面下でもそれなりに動いています。
そしてゆっくりとパズルのピースがハマる瞬間を待ちます。ただ待っているだけではもちろん夢はかなわないので、絵を描き続けていきます。
SNSにアップする絵を描くのは、今はお金になっていなくてもそれは私の大事な仕事です。
絵は人に見せないと始まらないですもんね。私の描く絵は、すぐに描けそうな絵かもしれないですけど、それでもそれなりに時間がかかります。
ここは私の創作のやり方が人よりものんびりタイプなのでしょうがないです。。
それを早くしようと思わないですし、早くしなくてもいいような契約で作業を受けます。
自分で全部やるからこそ、自分で内容を決めることができる。自分が苦しくないように、でも多少の負荷はかかった上で作業をする。
それが私の働き方です。
そうやって、時間がかかっても確実に夢を掴みます。